VOICE

お客さんを想い、今日も大好きなパンを焼く

ドレミベーカリー

/ 山根一博さん

「飽きたことは一度もないですね。一日中でもパンを作っていたいですから」

八頭高校の前にある「ドレミベーカリー」。

地域の人に愛され続けて37年。

夫婦でパン屋を営んできた山根一博さんは、笑顔でそう答えた。

古希を過ぎた今もなお、毎日パンを焼くことが楽しくて仕方がない。

パンのこととなると、少年のように目を輝かせる。

智頭農林高校の農業科を卒業し、鳥取市内の製菓会社に就職。

「特に将来のことを決めていなくて、友達がそこに行くというから、じゃあ自分も行くわという感じだった」が、ふと小さい頃から作ることが好きだったのを思い出した。

「小学校の頃はかりんとうを作るのが好きだったんです。記憶にないんですけど、親が梨を作っていて、その果樹園にも持っていって食べてもらっていたそうです」

入社後に、和菓子、洋菓子、パンの中からパンを選択。仕事をやり始めると覚えることが増え、またそれができるようになるのがおもしろかった。と同時に、どこかもどかしさも感じるようになった。

「仕込みの担当とか、焼くだけの担当とか、どこかの工程だけをやるやり方だったので、自分は最初から最後までやりたいと思いました。パンを作っているんだけど、作っていない感じ。自分ではそう思っていました」

いつかは自分の店を−。そんな想いを抱えながら20代を過ごした。

独立したのは、33歳のとき。今の店舗がある建物が空くという情報を聞き、「ここでやらなかったらずっと会社勤めだな」と意を決した。

お店は高校の近くということもあり、特に昔は土曜日になると部活動をする高校生がこぞって訪れ、地域の人たちも次々にパンを買い求めてやってきた。自分が好きなパンを作って、それを買いに来てくれる人がいる。それは山根さんにとって何より幸せなことだった。

だからこそ、お客さんに喜んでもらいたい−。その想いが山根さんを支えてきた。

「今もだいたい40種類の商品を毎日店頭に並べています。みなさんが思っているほど大変じゃないんですよ、毎日のことだし慣れていますから。作りたくても材料が入らなくなって作れなくなったものもありますが、なくなったままだと寂しいので常に新しいパンを考えてきました」

工夫を凝らした品揃えも、人気を集める理由の一つ。

カレーと福神漬けを一緒に食べるようにパンを食べられたらいいだろうと開発した福神漬け入りカレーパン、30年以上前にはなかなか珍しかった激辛の「ごっつい辛いカレーパン」。「あまり出ないかなぁと思っていた『チョコちゃん』は、高校生に大人気ですね」と笑う。

一風変わったネーミングもドレミベーカリーらしさ。ある時はお客さんにも楽しんでもらおうと公募。焼きそばに卵が入ったパンは八頭高校の先生が考案した「そばにおいてね」に決めた。

パン屋の朝は早いというが、山根さんの朝もまたとても早い。

お店を夜7時まで開け、夜の9時半に就寝。

数時間後の午前2時半には翌日の目覚まし時計が鳴るという。

「もうちょっと、もうちょっとって結局3時前に起きるんですけどね(笑)。家から歩いて5分でお店があるのですぐに仕込みに入れますよ。性格的にちょっと余裕を持って作りたい方だし、朝9時にお店を開けたときに食パンを焼き揃えておきたい。じゃないとお客さんに申し訳ないんです」

一日のうち16、17時間お店にいて、週2回の休みも午前中はつい仕事をしているのだとか。

「好きなことが一つ見つかると、そればかりしてしまうんです。昔はアユやヤマメを釣ることも好きだったけど、今は仕事が趣味で、パンだけしとったら言うことはない。本当にありがたいことに夢が叶って毎日ずっと夢の中にいるような気分なんです」

好きなことにこれだけ没頭できる人生を、一体どれほどの人が送るのだろう。

毎日毎日、ひたすら好きなパンを焼き続けてきた。

「口溶けが良くて、後味がいいパン。口の中で溶けるようにスーッと入っていくような。こだわりってわけじゃないけど、そういうパンを作りたいなぁ。あとは派手なパンはあまり好きじゃなくてね。いろいろ具材もたくさん入れると確かに美味しいかもしれないけど、値段も高くなるでしょう。それだとお客さんにも負担がかかるので、うちはできるだけ100円台のパンにしているんです」

年齢のことも頭によぎるし、ずっと連れ添ってくれた妻の恵さんへの感謝もある。

いつまで続けられるだろうかと考える日も増えたが、愛され続けるその味と、パンへの想いは変わらない。ドレミベーカリーの看板は、今日もくるくると回っている。