VOICE

きのこを通して感動を届ける。

北村きのこ園

/ 北村大司さん

ギュッと旨みが詰まったような肉厚さ。
シャキシャキと食感が楽しめ、甘みがある。
おいしいエリンギィがあるんだなぁと驚いたことがある。

「感動してもらえるきのこを届けるのが、うちのモットーですから。農薬も化学肥料も使いませんし、時間をかけないとできない方法でやっています。一つ一つこだわりを持ってやってきました」

創業59年の北村きのこ園を訪ねると、
社長の北村大司さんが柔和な笑顔で出迎えてくれた。

「北村は妻の実家で、当初はこの会社を継ごうなんて考えていなかったんですよ。周りから『そうは言っても継がんといけんじゃないか』と言われて覚悟を決めましたね」。

鳥取市国府町の生まれ。関西の大学に出てからUターンし、市内のタイヤ屋で働いていたが、結婚後、義父・喜久さんが経営する北村きのこ園で働き始めた。先代から後を継いだのが22年前。以来、経営者として何ができるか問い続けてきた。

今や売り上げの大半をエリンギィが占めるが、会社の歴史はエノキから始まった。
創業は昭和40年。農業の傍らでしいたけ作りや炭作りを生業としていた喜久さんが、当時新しい品種だったエノキの栽培に挑戦した。「なんでそんなものを作るんだ」と周りからは言われ、十分でない設備で試行錯誤が続いた。きっかけになったのが、培地として使っていたおがくずの改良だったという。

「当時は、生のおがくずを使っていたんですが、たまたま建築廃材で代用したところ、質の良いものができた。置かれていた間に、アクや油など不純物が抜けたのが良かったんじゃないかと気づき、それ以降、2年堆積して使うようになりました」

定期的にフォークリフトでかきあげ、油を抜くために近くを流れる大江川の水をかける。
それを繰り返すうちに木材の匂いが消え、2年してようやく使えるおがくずになる。

「大半の企業が、とうもろこしの芯を乾燥・粉砕してできる海外産のコーンコブミールを培地にしている中で、おがくずを使うのは全国でも稀。自然豊かな場所で、きれいな水がある八頭だからできることです。シンプルな作業だけど、時間も手間もかかる。でも、これがうちのやり方ですから」

良いものを作るために、妥協はしない。
職人気質の先代から、今も根付いている考えだ。

「北村のエノキは色が白く、ものが良い」と評判を呼び、どんどん工場を増床していったが、そんな矢先に業界が揺れた。いかに光を当てずに白く育てるかが品質を分けていたが、品種改良で簡単に白く育つ「白系」と呼ばれる品種が登場した。

「誰でも白いエノキが作れるようになった。このままエノキだけじゃ食べていけなくなるという危機感がありました。そんな頃、平成8年か9年だったかな、業者さんから教えてもらったのがエリンギィでした。食べてみたら食感が良く、これはひょっとしたら全国に広まるものになるかもしれないと思いました」

会社経営は、時に人生に例えられる。いつも順風満帆とは限らず、ピンチの時にどうするかが問われる。「これだ」と、直感が働いた。当時、エリンギィ研究が進んでいた愛知県林業試験場で習ってきた栽培方法をもとに、おがくずに米ぬかやふすまを栄養剤として混ぜるやり方を編みだした。

「今は応接室になっているこの部屋で、加湿して実験しました。壁もボロボロ、床も濡れてしまってね(笑)。市場に持っていっても売り子さんからは『こんなもん、辞めたほうがいい』と言われるし。まぁ、新しいものには大抵みんなそう言いますから」

会社の命運を託す一手だった。売れるのを待つだけでなく、自ら東京のイタリア料理や中華料理の店に片っ端から電話して営業したという。

「そんなに自信があるなら送ってこいと言われ、ちょっとずつそういうお店が増えて100軒くらいにはなりました。でも、売り上げが伸びたのは、サザンオールスターズの桑田佳祐さんの一言でした。音楽番組で『最近ハマっているもの』とポケットから出したのがエリンギィで、あっという間に全国的に広まっていきました」

最初から答えがわかる挑戦などない。
勇気ある行動の先に、初めて運がついてくる。

「いまだに失敗するし、改良し続けています」

材料を変えて育てたきのこができるたび、食卓に並べてはみんなで食べ比べる。「私なんかは目隠しをして試されます(笑)」。いつも改良点を探し、4〜5年前からは竹炭を培地に混ぜるようになった。

「これを入れたらいいかもしれんな、という直感ですね。私はアバウトな方で、直感型なんです。そういえば聞こえはいいですけど、栽培技術では職人気質な父に勝てないし、毎日ものを言わないきのこを見て、加湿を下げたり、温度を上げたり、記録するのは父の血を引き継ぐ妻が得意。お互いを尊重して、ないものねだりはしないことです」

経営者にもいろんなタイプがいるだろうが、とても自然体な人だなぁと思った。

「先代は人徳もあり、なんでも一人でできたけど、私は違います。どう会社がうまく回るだろうか、それを考えることが仕事です。組織づくりも時代も変わればやり方も違う。だから、自分に何ができるか、常に学びですね」

本を読むのが好きで、休日は耕作放棄地を減らすために畑仕事に精を出す。
きのこのこと、経営のこと。八頭に暮らしながら、自分らしく歩み続ける。