人生は、選択の連続である。
一方を選べばもう一方の人生を経験することはない。
どちらを選ぶのが正解かは分からないが、
選んだ方を後悔しないようにいられたのなら、
それがその人にとっての正解だと思う。
「人生一回だから、やりたいことをやろうと思いました。やりたいと思った時がその時。やらずにやっておけばよかったと思いたくなかったんです」
と、笑顔で話すのは尾島亨子さん。夢だったカフェを始めたのは3年前。
人生を変えたこの場所で、今、充実した日々を送っている。
若い頃から看護師として働き、その後は町の社会福祉協議会で勤務。「こう見えて人見知り」と話すのが冗談に聞こえるほど気さくな尾島さんは、55歳の時に早期退職。慣れ親しんだ仕事を手放すことを選んだ。
「長年、現場で仕事を通してたくさんの人と出会い、向き合ううちに、人と接することにやりがいを感じていました。だけど、管理職になると現場を離れ、苦手なパソコンや事務仕事が増えて…。定年までこれをするんだろうかと思うと、夜も眠れなくなってしまったんです」
人生において大きな選択だった。退職したものの、仕事を探しながらこれからどうしようかと模索する日々。ついつい資格や経験を活かす仕事を探してしまい、それなら今までの職場で良かったんじゃないかと思う葛藤があった。背中を押したのは、夫の勲さんだった。
「前からしたいって言っていたこと、やってみたら?」
昔からカフェや喫茶店を巡るのが好きだった尾島さん。行く先々で気になるお店を探しては、その店らしい佇まいや雰囲気を楽しみながらコーヒーを飲んでゆっくり過ごす。その時間が何よりも好きだった。
「いつかお店を持ってみたいなぁと口癖のように言っていたけど、自分からしたら夢物語。まさか本当になるなんて思いもよらなかったんです。けど、主人にそう言われて考えてみました。その時、お金がなくなっても好きなことをして元気でいられたら、人生いいんじゃないかと思えたんです」
思い立ったら動くのは早かった。
貯めてきた老後のための資金を、思いきって開店資金に。
「主人の方が細かく、私は大雑把。老後のことはどうするんだ、と主人は言うんですけど、まぁ、なんとかなるわよって」
そう言って、また笑う。
覚悟を決めた選択は、人を強くする。
店は、自分の「好き」が詰まった空間だ。
食器棚に収まりきらないコーヒーカップ、毎日のように骨董品屋に通うなどして選んだ家具。「赤いやね」には尾島さんのこだわりが詰まっている。
「普通、全体のバランスとか考えて揃えるかもしれないんですけど、本当に自分の好きなものを揃えただけです。コーヒーカップは前から集めていて、うちは9人家族で多いんですけど、娘には『それにしてもなんでこんなにあるの?』と言われているくらいあったんです。また増えちゃったんですけど(笑)」
夢物語を現実にしていく中、やりたいことがどんどん膨らんだ。
お店の場所は、自分が暮らす花原にした。花原がある私都地域には一軒も飲食店はなく、「なんでまた花原なの?」と多くの人に言われたが、この地域を愛する気持ちが決め手だった。
「嫁いで来た時には何もないし、なんちゅうところだと思ったけど、住めば都と言うのは本当で、街中よりもこの山あいがいいなぁと今は思うんです。それに、賑やかなところにあればお客さんが必ず来てくれるわけじゃない。自分も行ってみたいと思えば山でもどこでも行くし、だったらここにないものを建てようと思いました。いつも『ようこそこの山奥へ』と言うんです」
この日は、毛糸の編み物教室が開かれていて皆さんが楽しそうな時間を過ごしていたように、ここにはさまざまな人が集まってくる。常連のおじいさんたちは午前10時開店でも毎朝9時ごろにはコーヒーを飲みにきて「いろんな話をされていて、聞いているだけでも楽しい」。遠方からも足を運んでくれる人もいて、人のありがたみを感じる毎日だという。
「人のつながりってすごいなって思うんです。ここがなかったらその人と出会うことってなかったかもしれない。話をしたことがないタイプの人でも、話をしてみると面白いんですよ。へぇ、この人はこういうものが好きなんだ、とか、人に対する見方や考え方もすごく幅が広がるし、勉強にもなります」
開店時から出しているというパンのランチをいただいた。種類も豊富なパンは妹さんが自宅の工房で作っているもので、「鳥取市内でも買えませんか?」と聞かれるほどファンも多いとか。尾島さんが作るスープは、野菜の旨みが重なり合うように口の中で味わいが広がっていく。
「特別なことはしてないんです。昆布を浸した水を使って、たっぷりの野菜を入れて、とにかく煮詰める。朝5時半に起きてすぐお店に来て、前の日に切っておいた具材を鍋に入れて煮込みます。一旦、家に帰って家のことをして、7時半にはまたお店に戻って準備をします」
根は横着者だという。それでも、「美味しい」という声やお客さんの笑顔が、疲れた日も自分を支えてくれるという。
「地元の人、毎月来てくれる昔の職場の人、コロナ禍でもたくさんのお客さんに支えてもらいました。パンを作ってくれる妹がいて、その妹のつながりで編み物の先生が教室を開いてくれ、生徒さんがきてくれる。一人じゃ何もできないんだけど、いろんな輪の中でこのお店があって自分がいる。本当にありがたいし、嬉しいんです」
今日もこの愛する山奥で、誰かを出迎える。